ナガオカケンメイ

Sunday, 1 February 2009 | |



年の明けにナガオカケンメイという男を知った

いや名前は知っていたのだけれど、まさかあんなほんわかおじさんだったとは
情熱大陸という番組の出だしから彼は言い放ちました

「(今のデザイナーには悪いけど)完全に遊んでるよね」

その瞬間わたしは彼を見る目を変えた 変えさせられた
いっしょだと思っていた
本なんか出しちゃって
かっこいいといわれるデザインの陳列された小ぎれいなインテリアショップでまた彼の作品も陳列されているのだろうなんて勝手に思っていた

番組を見終わった直後、何かが腑に落ちた気がする
何だったかはある面でわかり、ある面ではまた考えなければいけないものだったけれど なんだか彼がわたしの日々のもやもやを言葉に、そしてかたちにしてくれたような気がした
大変なことだと思った

それからすぐに偶然、彼の本「ナガオカケンメイの考え」を読む機会が巡ってきた
分厚い本だった
大変なことだと思った

「作らない」という究極の選択は、デザイナーにとって致命的な、でもある意味救われる決断になりうるかもしれない でもその「作らない」という選択は、作ってきた人にしかできないものである 何も生産していない人間が口にするのは単なる作れない言い訳 逃げの口実 そして“救われる”と感じてしまうのも違うのかもしれない 作らないことで救われてはいけない 常に何かを作らなければいけない それがデザイナーの仕事だから

小学校5年生だったか
将来の夢は「デザイナー」と周囲に掲げた
未だその夢は叶わず
最近は「デザイナー」になれる日なんて来ないかもしれないとさえ思う時がある
昔から不思議に思っていた
「デザイナー」になりたいなら「わたしはデザイナーだ」と言ってしまえばいい
その直後にはもう「デザイナー」になれる
看護師が患者さんを相手にするように パイロットが飛行機の操縦をするように
「デザイナー」はデザインをする

なにを?

怖いのはいつだって「デザイナー」になれてしまうこと
自分がそれでいいと思えばなれてしまうこと


いつか人に職業は「デザイナーです」と胸を張って言える日がくるだろうか


まだわたしは作り続けなければならない

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