いろいろいろいろ

Wednesday, 22 April 2009 | |


がんばるー おー!! と息巻いてみたものの、なんだか出鼻をくじかれた感じです。今回のプロジェクトはグループワーク。しかし、ああどうして。なんだかアンラッキーな日です。マヨネーズも踏むし。なんでここにマヨネーズ!?という疑問もさておき、出るのはため息。しかし文句を言っても仕方ない。正々堂々相手に言えないわたしが悪い。まだ英語というしこりがあるんだな。ああ情けない。さて、しかし。やることしましょうか。意外にもイタリアの滞在日数が4泊と長くとってあったためにいろんなところで皺寄せが来ています。でも楽しみなので前後で挽回します。

話は変わるけど、最近身近なコが友だちの一言でとても傷ついていたことを知りました。話題は宗教に関する話。わたしはその日たまたま早く帰っただけで、その場にいてもおかしくはなかった。もし自分があの場にいたらなんと発言しただろう。わからない。ただ、あることを思い出した。高校生・・・の頃だったか、ある日、小・中学校からずっと仲のいい友だちから、実はある宗教に属していて、今度ある集まりがあるから一緒に行かないかと誘われた。正直な話、その当時のわたしは世間に疎い、というかそういう手のことは知る機会がなかったためか、実際に名前を聞いてもいまいちピンと来なくて、そういう名前の団体があるということは後で知り、友だちの話からはただ小さい子供たちと一緒に遊んだりする、学童のようなところなのかな、という印象を持った。無理にとは言わない、とその子が言うので、わたしは行かない、と断った。それ以来その子がその話をわたしにすることはない。あとからわたしも少し調べてみたら、意外にも世間ではよく知られ、たくさんの有名人も信者としている、ということも知った。そしてやはりマスメディアに近い人がいれば、ひどく叩かれることも必至で、嘘か本当かいろんな噂があるようだった。そこで思ったのは、これだけ長く付き合っていて、家にもよく泊まりに行ったり来たりしていたのに、わたしはその子のことをまだ全然知らなかったのだ、ということ。それが思いもよらずショックだった。言ってくれればよかったのに、とも思った。けれど言えなかったのかもしれない。ただ言わなかっただけかもしれない。わからないけれど、その話をする時のその子の雰囲気はやはりいつもと違っていて、きっとその子の中ではいろんな思いがぐちゃぐちゃになっていたのだと思う。信仰というのはやはり何か特別な力なんだと思わされる。今こうして海外で生活することになって、本当に多種多様な人種の人がいて、もちろん信じているものも違くて、でも同じようなところももちろんあって。とくに答えはないけれど、その子とわたしが友だちであることは変わりはないし、その子も今ひとり海外で働いていて、わたしが同世代で本当に尊敬する人の数少ない一人だし、そういうことでいいんだ、って思うんだ。それがわたしの中の事実。けれど、言葉は気をつけないといけない。でも臆病になってもいけない。人生死ぬまで勉強だ、とはよく言ったもので、24歳になっても学ぶことがまだまだたくさんあるようです。

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